皺と汗の記録(幸せの記録)

はじめに

 人は、人生を歩む中で年齢を重ねることで顔や体に皺ができる。
 そして、体を動かすこと、頭を動かすことで発汗する。

 体と頭を動かして汗をかく。それを積み重ねていくことで皺ができていく。その繰り返しで人は”幸せ”とは何であるのかを知るのかもしれないと、私は思う。
 皺と汗とはつまり、皺汗、幸せなのである。

 このようなしょうもない洒落で始めるこの記事ではあるが、これから書く記事たちを通して、自分がどのような活動をしてどのようなことを考えて汗をかいているのかを記録として残しておきたい。

 そして、いつしかその記事たちがたくさん書き溜まる頃には、私の顔や体には今よりも幾分かの皺が刻まれているだろう。

 私はこれからの人生が今現在の状況よりも幸せだと感じられることを望んでやまない。

 そのためにも、この記録は大切なのだと考えている。

 これは、自分が幸せになるために、皺を刻み汗をかいた記録群である。

これからのこと

 さて、意気揚々と始めたこの記事であるが、特にこれを書きたいといったことがあるわけでも、必ずこの日に次の記事を上げるといったことを決めているわけでもない。
 ただ、自分が思ったこと、考えたことを書き散らしてどこかに置いておきたいだけだ。
 要は備忘録なので、全ての人が読んで楽しめる文章ではないのかもしれない。
 それでも、少しでも読んでいて楽しめるような文章を心がけていきたいものである。

現在のこと

 現在のことを話そう。現在私は26歳である。まもなく27歳を迎える。
 
 端的に言えば、無職である。

 世間的に見れば良い状態とは言えず、ある人から見れば救いようがないのかもしれない。
 それでも、仕方がないのだ。これが自分だ。
 この仕方のない自分を受け入れて、幸せになるために日々暮らしていくことが何よりも大切だと思う。
 悲観していても仕方がない。ネガティブになるのも仕方がないが、悲観していも仕方がない。時間は毎日24時間、皆平等に流れている。
 その限られた時間の中でいかに自分が行動し、幸せになるための選択ができるかが今後の鍵になるであろうと思う。

この記事を書き始めた理由

 この記事を書き始めた理由としては、自分の感情を発露させる場所がどうしても必要だと感じたからだ。
 
 私には、今までLINEなどでよく話していたネット上の友達がいる。一度実際にお会いしたことがあるので、顔も名前も知らないというわけではないが、お互い距離が離れているため、基本はLINEや通話をして連絡を取っている。
 
 私は、この人のおかげで気持ちが落ち込んだ時や前後不覚になったときに、なんとか持ち直すことができた。
 感謝の気持ちは言葉では表すことができないほどである。
 
 しかし、相手方もいつも精神的に良い状態なわけではない。そして、いつも私の相手をしてくれると、甘えているばかりではいけない。
 
 そう思い、自分の思いの丈を書く、このnoteに記事を書こうと思ったのだ。
 私は文章を読んだり書いたりするのが、どうやら好きらしい。
 仕事にできれば御の字であると考えるほどに。
 
 しかし、とりあえず今は、自分の気持ちや考えを文章にし書き表すことで、誰かに話すことと同義の感情を得たいと考えている。
 これがどのくらい続くかはわからないが、断続的に続いていけばよいと思う。
 
 書きたいときに、書きたいだけ書く。そのような感じでよいのではないだろうか。

 このnoteが一つの記事がどのくらいの文量であるべきなのかはよくわからないが、今回はこのくらいで終わりとさせていただく。

おわりに

 今後は少しでもましな文章が書きたい。
 少しずつ少しずつ、一歩一歩やっていく。